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2017-09-11

奴隷貿易の歴史が残るゴレ島 in セネガル(History of Slave Trade in Goree Island, Senegal)Part2

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ボンジュール、SAYAです🐽
ゴレ島の奴隷貿易の歴史について、続きです。
 
下の写真は『HOMMES(男性)』の部屋です。
もちろんぎゅうぎゅう詰めで、ベッドなど無い、ただの暗く汚い牢屋です。
トイレは1日1回しか行かせてもらえず、衛生状態も劣悪でした。
ここには体重60キロ以上の健康な男性が’合格品’として収容され、アメリカ大陸への発送を待ちました。

体重60キロ以下の男性は別の部屋に収容され、60キロを超えるまで、家畜に与える肥料のようなものを3ヶ月間ひたすら食べさせられました。

 

左側は『FEMMES (女性)』、右側は『CELLULE DES RECALCITRANTS(お仕置き部屋)』です。
Recalcitrantは’やんちゃ’という意味。
言うことを聞かない人はここで罰を受けました。
あまりの暴力に死者も出ました。
そして奴隷達は首輪と足首に錠をかけられ、それらを鎖で繋がれて動けない状態でした。

 

この少しだけ小綺麗に見える部屋は、処女の女性が収容されていた部屋。
処女の女性は、ヨーロッパの男性に娼婦として高く売られたそう。
またヨーロッパの男性と男女の仲になり、ここから脱け出そうとする女性も多かったとのこと。
ヨーロッパ男性との子を身ごもれば、牢屋から抜け出せるチャンスがありました。

それはそうですよね、奴隷から解放され自由になる為なら、何だってしますよね。。。

 

この収容所で病気になり、’商品’として使えないと判断された人は下の写真の廊下を通らされ。。。
容赦なく海に投げ捨てられました。
鮫がうようよと待ち構えていたそうです。。。
聞くのも本当に辛い歴史です。
コメント帳に素晴らしいコメントを残している方がいました。
アフリカ出身の方だと思います。
『この歴史を学んで、なぜアフリカが強い民族なのか理解できた。私たちの先祖が、生き抜く為の素晴らしい才能を遺してくれたんだ。』
辛い過去を受けとめて、憎しみ返すのではなく前向きに考えているこの方は素晴らしいと思いました。
私たちもコメントを残しました☺

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この像は、1814年に当時支配していたフランスが奴隷貿易を廃止し、奴隷達が解放された時の悦びを表した像だそうです。

 

辛い過去があったゴレ島で、今無邪気にサッカーをしたり海水浴をする子供たちを見ると平和が訪れて良かったと心から感じました。
2度と同じ過ちを繰り返さないよう、今の私たちがこの悲惨な歴史に目を向け、学び、後世に伝えていこうと思いました☺
 
ここ、来て良かった!!✨
 
最後まで読んでくださった方に。。。
今日のイケメン👨💕
 
宿で出会ったウーマーさん(33歳)
別の記事で紹介しますが、Dibi(ディビ)というアフリカンスタイルのBBQがあり、今までで1番美味しいDibiのレストランに連れていってくれた肉の恩人🍗🍖🍗💕
これです!❤
ほんっっっっと旨すぎた😆
無心で食べた(笑)

もう一度食べたい・・・💓

 

SAYA 

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