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2017-09-11

奴隷貿易の歴史が残るゴレ島 in セネガル(History of Slave Trade in Goree Island, Senegal)Part1

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ボンジュール、SAYAです🐷
 
西サハラの砂漠キャンプを終え、3カ国目Senegal(セネガル)の首都、Dakar(ダカール)にやって来ました。
 
黒人奴隷貿易が行われていたという暗い歴史がある世界遺産、Gore Island(ゴレ島)へ行ってみることに。
 
ダカール市内にあるダカール港から船が出ているということで港へ。
料金はセネガル市民・アフリカ市民・それ以外の3段階で分かれていて、それ以外の私たちは5200CFA(約1040円)払いました。
セネガル市民の3倍以上だけどしゃーなし!
 
船はいっぱい発着している模様。
次の船16:00まで時間があったので、船で食べるランチを買いにスーパーへ。
AUCHANというフランス発の大手高級スーパーで涼みながら買い物していると。。。
ビアーパイセン❤
しかも500ml缶で475CFA(100円弱)という安さ😍この国最高だな🍻💕
もちのろんで購入。
 
他にもつまみを購入しレッツゴー❤
船の上で昼間っから呑むOBA達。笑
この生ハムは50%オフで250円くらい。
やっす!!うっま!!!🎵😍
30分程度の航海でした。
到着~~~!!!
早速お目当ての奴隷貿易について学べる場を探す。
歴史を詳しく学ぶために、奴隷ハウスで出会った英語が話せる現地ガイドさんに案内をお願いしました。

2時間ほどお付き合い頂いて2人で10000CFA(約2000円)お支払い。

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ここからまじめな話です。

 

まず始めにゴレ島が奴隷貿易上どのような役割を果たしていたかというと、アフリカ各地から連れてこられた奴隷を一時的に収容し、合格基準を満たした奴隷をアメリカ大陸へ輸送する為の拠点として機能していたそうです。
16世紀、アメリカ大陸ではプランテーションが盛んで多くの働き手が必要でした。
当時のヨーロッパ諸国(オランダ、イギリス、フランスが代わるがわるゴレ島の統治国となった)は奴隷を集めてアメリカ大陸に向けて発送するビジネスをしていました。

ゴレ島は、16世紀から1814年にフランスが奴隷貿易を廃止するまで、西アフリカ最大の奴隷貿易の拠点として栄えました。

 

しかし奴隷の扱い方は、とても人間に対する扱いではありませんでした。
アフリカ各地からゴレ島まで運ばれる間、船の上に多くの奴隷をぎゅうぎゅう詰めにし、十分な水や食料を与えず、トイレにも行かせなかった為、病人や死人が続出しました。
死人はもちろんのこと、病人も生かしておくと感染症が蔓延する恐れがある為、容赦なく海に投げ捨てられました。本当にひどい。。。

海には多くの鮫がいて、落ちてくる人を待ち受けていました。

 


奇跡的にたどり着いた人達も、この後が悲惨でした。
まず到着するやいなや、身体検査を受けて性別や年齢や体重で仕分けされ、収容されました。
家族で連れてこられても、みんなバラバラに収容されたのです。
そして名前では呼ばれず、番号や会社名を身体に焼き印され、それで識別されました。
また奴隷の出身地が被らないように収容し、奴隷同士がコミュニケーションを取れないようにしました。
逃亡を企てられたり、何かと不都合があったからだと思います。
 
 
ここからが本番ですが、長いので一旦切ります。
Part2へ続きます!!
 
 
SAYA
 

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